【台湾】第一回訪問
29th August - 3rd September, 2025 @台湾 南投県仁愛郷
29th August - 3rd September, 2025 @台湾 南投県仁愛郷
1日目
前日の夜、台北桃園空港にて合流し、いよいよ台湾での原住民集落調査の研修が始まった。
今回の台湾訪問は長野の萩倉、沖縄の与那に次ぐ「むらやしプロジェクト」の第三集落を探し、決定することが目的である。
調査初日は、原住民の実際の集落を訪れる前に、台湾原住民について基礎的な知識を得るため九つの民族を紹介する九族文化村を訪れた。そこで復元された住居や、文化村にある博物館で原住民の服飾や道具の展示物を鑑賞し、資料を収集した。
それぞれの原住民の集落の住居は、同じ台湾の山間部に分布しつつも、民族ごとに素材やその使い方、形、部屋の構成が異なっていることがわかった。たとえば壁だけをみても、竹を使い隙間なく並べて建てるものもあれば、あえて小さく隙間を開けて風を通すものもあり、石をレンガのように平積みにするものもあれば、人の胴ほどの大きさもある薄い石板を立てて横に均一に並べていくものもある。またその住居の柱やまぐさには、民族固有の体勢をとる人やヘビのレリーフが掘られている。ヘビは原住民のなかで、神聖視される存在だという。また、それら住居のなかには、日本統治時代に台湾原住民の住居を調査した建築学者・千々岩助太郎のスケッチをもとに復元されたものもあった。
博物館に隣接するステージで原住民の民族舞踊を鑑賞した。ゆったりとしたリズムにあわせ、装飾品をまとった原住民の堂々と舞う姿が印象的だった。これまで九族文化村でふれてきた様々な民族の文化を振り返ってみると、どの原住民もそれぞれに自分たちの色をもっているということ、そしてその誇りが表れているということを感じた。
夕頃、湖畔にサオ族の集落があったという日月潭を訪問した。私たちが訪れたかぎり、このあたり一体は観光地化がかなり進んでおり、集落の面影はなかった。たまたま入ったお土産屋さんのお店の方がサオ族の方で、こちらの事情を説明すると現地のお茶を振る舞っていただき、少しばかり長居してサオ族についてのお話をうかがった。そのお母さまがサオ族の祭司であったという。
その後すっかり日も暮れ、去り行く日月潭に映る夕空を後に、仁愛郷の険しい山道を登って、これから主にお世話になるセデック族集落の盧山部落へと向かった。
2025年8月30日 清原稜貴
2日目
朝起きると、夏なのに肌寒さを感じた。標高1,500mの集落まで来ているからだ。昨日到着したのはすっかり暗くなってからで、周囲の環境はほとんど見えなかったが、改めて見ると、民宿は険しい山の斜面に建てられ、畑に囲まれていた。向こうの山並みや遠くの建物まで見渡せて、秘境に来たのだと感動した。
今回はセデック族の集落にお世話になる。いくつかあるセデック族の集落の中で、今回滞在するのは「廬山(ルーシャン)部落」というところだ。この名前は中華民国が台湾に入ってから付けられたものだが、元々セデック語では「センザンコウ」を意味し、その周辺にセンザンコウが多く生息していたことに由来する。
本日はセデック族の方々に集落を案内していただいた。案内してくださったのは、TAPUNG文化産業協会を運営されている方で、10年ほどセデック族の文化保存・伝承・普及に尽力しているという。TAPUNGはセデック語で「火」を意味し、中国語の「薪火相傳(たきびの火を受け継ぐ)」と掛けて名付けられている。その言葉通り、文化を次世代へつないでいこうという思いが込められている。
まずは水源地まで案内していただいた。集落から2〜3キロ離れた険しい坂の先にある川で、そこからパイプを集落まで引いて生活用水を得ている。台風や大雨の際には水が止まることもあり、そのたびにTAPUNGの方々が水源地まで行き、整備や片付けを行うのだという。蛇口をひねれば水が出てくる都市で育った筆者には、想像しにくい生活だ。また、植物や動物の種類から人が使える水源を見分ける方法についても紹介していただいた。こうした大自然の中で育った人々が、自然への知識だけでなく、敬意や感謝を抱くのは当然のことのように思えた。
続いて、集落近くの温泉地を案内していただいた。台湾には死火山があるため温泉が湧き出る。原住民族が昔から温泉に入っていたかどうかは、これまで読んだ文献では触れられていないが、この地は近代において様々な変化を遂げてきたという。日本統治時代の温泉接待所や温泉街、中華民国初期の蔣介石の別荘が今も残っており、かつて豊かな地であったことがうかがえる。しかし近年の天災により川の水位が上がり、土砂崩れで流れ込んだ石や砂によって建造物が破壊され、観光地としての寿命を迎えつつある。
本日の最後は都達部落の見学だった。ここにはセデック族の復元された伝統家屋があり、半穴式で冬は暖かく夏は涼しい造りになっている。壁の下部は石積み、その上に丸太を積み重ね、内外の柱で挟んで固定する構造だ。ただし丸太は縄や釘で固定されておらず、力を入れれば外せる。取り外した丸太はそのまま薪として使い、後から新しい丸太を補充する仕組みである。昔の人々の知恵に感心せずにはいられなかった。
伝統家屋の紹介の後、村長へのヒアリングの機会もいただいた。村長からはセデック族の近代史について学んだ。日本統治時代の強制移住や内部の紛争、そして集落の形態がどのように変容してきたか、その背景を知ることができた。集落構造を理解するうえで極めて重要な情報である。
短時間でこれほど多くの知識を惜しみなく共有してくださったTAPUNGの方々には感謝の気持ちでいっぱいだ。そして、この民族がいかに豊かであり、その豊かさが現代にも息づいていることを改めて実感した。むらやしにとって大きな収穫であった。
2025年8月31日 Lau Serena Hey Tung
3日目
本日の午前はブヌン族の集落を訪れた。ブヌン族は台湾中央山脈の南部に広く分布する高山民族で、今回はその最北端に位置する集落に向かった。
集落の大通りには観光化の痕跡があったものの、観光客向けの店は見当たらなかった。ひとまず公民館へ足を運ぶと、外の広場で料理教室が開かれていた。話を伺うと、ブヌン族の伝統料理を集落の人々に教えているとのことだった。日本統治時代に伝統文化が禁止されたことや、現代技術の普及により伝統文化が失われつつある中で、文献や高齢者の口伝をもとに文化を復活させたいと考える人々が多くいるのだという。そのため、政府からも金銭的な支援があり、国としても多民族の文化伝承活動を後押ししている印象を受けた。
公民館の中では、他の文化伝承活動も行われていた。原住民族には文字文化がなく、長らく口伝によって文化が継承されてきたが、口伝には限界があるため、文字化の取り組みが進められている。今回は幸運にも、その活動の現場に立ち会うことができた。文字化されたブヌン語は、今後、原住民族学校で子どもたちに教えられていく予定だという。
午後は清境のあたりを訪れた。TAPUNGの方々は現在、原住民族をテーマにした市場を運営しているが、その空間設計を担える人を探しているとのことだった。本日はその現場を確認し、実際に市場で提供されている料理や原住民族の伝統的な活動を体験した。その際、TAPUNGの方から狩猟で使われる道具についても紹介していただき、現在でも狩りが行われていることを知った。TAPUNGの方々は情熱を持って迎えてくださり、むらやしとしてもぜひ力になりたいと、メンバー全員が前向きな気持ちになった。
2025年9月1日 Lau Serena Hey Tung
4日目
本日はセデック族の集落から台北へ移動し、国立台湾博物館と順益台湾原住民博物館にて原住民族について学んだ。移動の途中では、山を降りるごとに気温が上昇していき、セデック族の集落が高山地帯に位置し、夏でも比較的過ごしやすい環境であることを実感した。
国立台湾博物館では、パイワン族の住居の室内展示を見ることができた。薄く剥離した石材を多用することで、土から切り離された清潔感のある空間がつくられていることが分かった。また、パイワン族は伝統的に亡くなった家族を家の中の墓石の下に埋葬し、これは「生と死を通して家族が常に共にある」という思想を示しているという説明を得た。赤ちゃんが生まれると、臍の緒や胎盤を家の中に埋める習慣とも重なり、親族関係の平等や絆を象徴している点が印象深かった。
順益台湾原住民博物館では、多様な原住民族の暮らしに関する展示を通して、それぞれの文化や歴史を知ることができた。また、日本統治時代に関する貴重な資料にも出会い、今後むらやしメンバーと共に読み進めていく予定である。
本日の博物館見学を通して、多くの学びと気づきを得ることができた一日となった。
2025年9月2日 小林愛実