むらやしの第一回台湾調査(2025年8月29日~9月3日)では、台湾中部から南部にかけて居住する複数の原住民族について、その歴史的背景や信仰、住居形式、社会構造を確認した。とりわけセデック族、タイヤル族、ブヌン族、そして日月潭周辺に居住するサオ族についての整理を行った。
セデック族は中央山脈一帯、特に南投県仁愛郷に多く居住しており、人口はおよそ一万一千人とされる。彼らはUtux と呼ばれる祖霊信仰を中心に生活を構築し、祖先から授けられた規範であるGaya を守ることで共同体を維持してきた。豊年祭や火占いなどの祭事は神主により執り行われ、炉を中心とした半穴式住居は自然素材を巧みに組み合わせて建設されていた。穀倉は高床式で、防鼠板などを備え、共同体の豊かさと団結を象徴した。社会的評価は首狩りや織物技術によって示され、顔の入れ墨や織物文様が個人の名誉や祖霊の守護を可視化する役割を担っていた。
タイヤル族は台湾北部から中部にかけて広く分布し、九万から十万人ほどの人口を持つ大規模な民族である。祖霊信仰を基盤に、祖先の訓示を守ることで収穫や健康を得られると信じられてきた。播種祭や祖霊祭といった祭事を通じて共同体の絆が確認され、住居は地域ごとに多様で、山間部の半穴式木屋、低地の竹屋、高床式の穀倉や望楼などが確認された。部落は血縁を基盤とした統治単位であり、首長や長老会議が内政を司り、部落間では連盟を形成して外敵への防衛にあたった。
ブヌン族は中央山脈の南部に居住し、人口は約五万八千人である。ひょうたんから祖先が生まれたとする伝承など、起源に関する神話が複数伝わっている。信仰は太陽と祖霊を中心とし、農耕や狩猟の成否はその加護によると考えられた。耳祭りや収穫祭などの儀礼では、共同体の結束を確認し、八部合音と呼ばれる合唱が祈雨や農耕の場面で重要な役割を果たした。住居は石板屋が特徴的であり、閉ざされた洞窟型と台座型に大別される。炉を中心とした空間構成は拡大家族の共同生活を前提としており、建築は単なる生活の器を超えて家族や共同体の結束を支える場であった。二十世紀以降、外部からの支配や生活様式の変化により伝統家屋は急速に失われたが、近年は復元や教育的活用を通じて文化継承が進められている。
サオ族は日月潭周辺に居住する人口千人に満たない小規模な民族である。洪水による漂流の末に現在地へ定住したと伝えられ、漢人や他民族との交流によって早くから文化の変容を受けてきた。信仰の中心にはqali と呼ばれる超自然的存在があり、善霊と悪霊に区別され、祖先は善霊となって子孫を守護するとされた。祭事としては祖霊祭や白鰻祭、大過年などが行われ、農耕や漁猟の豊かさを祈願する重要な行事となっている。住居は方形あるいは長方形の茅葺屋根を持ち、内部には祖霊籃が置かれて信仰の中心となった。湖上に設けられた穀倉は水を利用して鼠害を防ぐ工夫が見られた。社会構造は父系制で、氏族単位による婚姻や祭祀が共同体の基盤を形成していた。
以上のように、各部族はそれぞれに固有の信仰や住居形式を持ち、社会の秩序と結びつけてきた。近代以降の強制移住や同化政策によって多くの文化は変容したが、現在では復元や教育、観光との結びつきを通じて新たな形での継承が試みられている。この点は、むらやしにおける共同体形成や空間づくりを考える上で重要な社会背景である。
九族文化村
国立台湾博物館
順益台湾原住民博物館